エッセー


兵庫県立盲学校同窓会誌に寄稿)

「幻のホームラン」
                                       (2001年9月、福島 智)
 あれは小学部6年生のころだったろうか。土曜日の午後。だれもいない兵庫県立盲学校の放課後の廊下に、私とOは二人でいた。
「ロの字」形になった校舎の3階の西側の辺。北側の音楽室から南側の理科室にかけての廊下だ。
 当時、全盲の悪友Oと私は、そこでよく「ピン球」をやった。これは「ゴロピン野球」とも呼び、盲人卓球に使うゴロピン、つまりあの散弾が中に入ったピンポン玉をゴロゴロ転がして小さな棒で打って、ミニチュア野球にしようという遊びである。
 私がかなづちの柄か何かの短い棒を持って、理科室の前の廊下にしゃがむ。これがバッターボックスだ。中庭に面した鉄柵の下のコンクリートの小さな土台に、バットの先を当てる。
 Oが教室二つ分向こうの音楽室の前の廊下の角から、投球動作にはいる。前口上が大げさだ。
 「フッフッフ、さっきは失敗したが、今度は完全に消える魔球を投げてみせるからな。打てるもんなら打ってみい」アニメか何かの悪役をまねているのか、声を不気味に低くしている。
 「消える魔球」というのは、当時人気のあった漫画、『巨人の星』に出てくる星飛馬が投げる「大リーグボール2号」をもじっているらしい。もともとは普通の野球のボールを投げる際、星飛馬がスパイクでグラウンドの土煙を巻き上げて、その中にボールを紛れ込ませて「見えなく」するという発想の、荒唐無稽な漫画的投球法だ。
 ところが、それをOはゴロピンで実際にやってみせようというのである。むろん、我々二人は全盲だから、すでにボールの姿は目の前から「消えている」わけなので、ここでは姿ではなく、「音を消す」ことを意味しているのだが。
 ゴロピンは名前のとおり、転がるとゴロゴロ、ジャラジャラ、ジュルジュルと音がする。どんなに速く転がしても、あるいは、卓球の試合で激しいラリーになったとしても、無音になるということはない。それをどうやって「消える魔球」にするというのか……。
 Oがボールを転がした。コンクリートの縁に沿わせている。しばらく、「ジュー」というような音がしていたと思うと、それが「クーン」という感じの高くかすかな音に急に変化した。すごい!まさに「音が消えた」ように感じるのだ。
 一応、投げ方はすでに彼から聞いて、原理は想像がついていた。ゴロピンを廊下の端の壁などに強くこすりつけるようにして、ある角度で強い回転を与えて投げる。そうすると、ゴロピンの中のいくつもの散弾がピンポン玉の内壁を滑って回転し、そのためにジャラジャラいう例の音が消えて、「クイーン」というような高くかすかな音だけが残る、という高度な技術なのである。
 ムム、これはまさに魔球だ。ボールがどこにあるのかよくわからない。耳を澄ませても、かすかな「クーン」という音しかしない。私はボールの位置がはっきりわからないまま、最初に聞こえたボールの音から速度を推測して、適当な間をおいて、大きくバットを振た。
 バシッ。ヤッターッ!わあっ!というような声を二人は同時に上げた。
 私の打球はOを飛び越えて、突き当たりの音楽室のドアを直撃した。私たちのゴロピン野球ルールブックでは、これは「ホームラン」だ。
 「ちくしょう、やられたあ」Oが切られて倒れる時代劇の悪者のような声でうめいている。

 「ヤッター、これで俺の勝ちやな」と私は喜んで廊下を飛び跳ね、バットである短い棒を振り回した。
 その瞬間。ジリジリジリジリ、ウワン、ウワン、ウワン、ウワン、と大音響があたりに響いた。
 「おい、福島、大変や。火事や、火事や!」とOが叫ぶ。
 「いや、ちゃう、ちゃう」
 「福島、はよ、逃げなあかん!」とOがそでを引っ張る。
 「いや、違うんや。俺の棒が何かに当たったんや。ああ、非常ボタンのガラスを割ってしもたかな」悪ガキ二人がうろたえていると、サンダルの音も高らかに、理科の若い男性教師Mさんが階段を駆け上がってきた。
 「おい、どうした、おまえら何しとるそこで!」
 「いえ、何も」
 「早く逃げろ、理科教室でぼやでも出たかもしれん」
 「いや、たぶん違うと思います。僕らがここで遊んでたら急にそのう、ベルが鳴りだしたんで……」急を告げる非常ベルの大音響の中で、私は必死に、しかししどろもどろになりながらいつまでも状況を説明し続けたのだった。
 私たちがその後、担任、教頭、校長等の各先生方に大目玉を食らったのは言うまでもない。
 しかし、まあ、怒られるのは慣れている。そんなことよりも、私にはとても悔しいことがあった。
 それはあのホームランのことだ。あの私のホームランは、Oとの間での「ピン球野球史上」に残る大記録だったのになあ。ところが、Oが、「ベル鳴らして怒られたから、あのホームランはなしや」と、公式記録からの抹消を宣告し、あえなく幻の大飛球となってしまったのだった。かえすがえすも残念である。

今から、25、6年前の懐かしい思い出である。

(福島智。神戸市垂水区生まれ。9歳で失明、昭和48年4月、兵庫盲小学部4年生に転入。昭和54年3月、中学部卒業、他校に転校。その後、18歳で失聴し、全盲ろうとなる。現在、東京大学先端科学技術研究センターバリアフリー部門助教授)。




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